有機栽培

娘Nは卒論が終わったというのに、
まだ学校に行って勉強しているら・し・い・。
学費いっぱい出しているんだから
最後までしっかり学んでおくれ。


もうすぐ、社会人。
心していないと、学ぶ機会は
そう簡単ではなくなるのですよ。


学生っていいよねえ。


でもよく勉強しました。
彼女は元をとったと思います。

園芸家の柳宗民先生は、
戦後、アメリカ軍施設で栽培されていたトマトが盗まれたとき、
日本人も疑われたけれど、
日本人はあんなまずいトマトは食べないのですよ。
アメリカのトマトは、化学肥料で育てているので、おいしくないから。
だというのです。


そのはなしをずっと信じているので、
わたしは、いまだに有機栽培のトマトは、
おいしいと思っているのです。
その頃の肥料はやっぱりオワイかな。


ただ、それを思い出したとき、
気がつくのは、何で、味を知っているんだい?っていう疑問。
金網の向こうの、野菜。


もちろん施設で働いている日本人は
食べることもできたとは思うのだけど。


先生も軍関係の施設に関係していたのかなあ・・・。

母の姉は、
アメリカ軍の家族の家に、出入りしていたことがあり、
そのとき、ベーコンの油(廃油なわけです)を、
少しずつ、ビンにためて家に持ち帰ることがあったそうです。
あるとき、同僚が、それを持っていってしまったそうで、
今でも悔しそうに母が話してくれることがあります。


油を捨てているアメリカの生活と、
それを争奪するほど大事に持って帰る日本人。


戦争を生き抜いてきた人たち、
そして戦後。
いまだに、想像を絶するものがあります。


私の育った頃はもはや戦後ではないころだと
思っていたのですが、戦争のにおいのする、
まだまだ復興期だったんですね。

息子のベーコンいい具合に、
スモークされているのですが、
それ以前の素材選び、注意しないと。
脂身ばっか。
カリカリベーコンにしたら、おいしいだろうけど、
なくなっちゃいそう。
少しずつ香り付けに使いましょ。

今日の言葉
5年先の自分に笑われないために。





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2010-01-25
いいものはいい


息子と、はさみの講習会に、
代々木まで行ってきました。


いいはさみは、
スンバらしくいいです。
感心して帰ってきました。


理容業界の偉い人が沢山いるのに違いないのですが
分からないものは、分からない。
こういう方々の中に入るのは、
初めてなものですから。


分からないというのは
怖いもの知らずというか
挨拶もできず
居心地の悪そうな会場。
それなのに、一番前に陣取り、
背中に沢山の視線を感じながらも、
一生懸命に、新作のハサミについて、勉強。


普通は理美容商の会社の長が出席する場なのです。
私が勉強したい。
息子が勉強したい。
ということで、二人で行っているのだから、
まったく気にしていなかったけれど、
帰ってきてから、母子で、行くって、
どういう風に見られたんだろうと、おかしくて。


絶対 ぼんぼんと、過保護なママ。

髪の毛を切るはさみではなくて、
皆さんが使うのには、
芽きりバサミで十分だとは思うのですが、
もしできれば剪定バサミがお勧めです。
お花バサミは使いにくいです。
華道でも剪定ばさみのほうが使いやすいと思うけれど、
流派や先生によってもこだわりがあるのかなあ。
手創りのいいものだろうけれど、
スプリングの入った剪定ばさみのほうが
使いやすいと思います。


でも最近使った剪定ばさみ。
2本とも、
1ヶ月しないうちにスプリングが飛んでしまって。
これ、メーカー同じかなあ。


学校の教材として買った、
剪定ばさみはとても持ちがよかった。


こういうものは一生ものだから
いいものをそろえるといいですよ。


ただ、農園で、貸したまま帰ってこないのが数丁。
学校で使い慣れていたのもとうとうでてこなかった。
道具は大事にしましょうね。

今日の言葉
綺麗な奥さんですね。って、
本当に綺麗だったらわざわざ言わない。
                 息子の言葉





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2009-01-25
市原へ、


すっかり綺麗になった体験農園。
土曜日曜に肥料散布があります。
なるべくいらしてください。
たぶん土曜日にほとんど終るのではないかと思います。

虎ノ門で、健康関係の、勉強会があって、
その後、安い携帯電話が買えるからと、
子供と、市原まで。
何でこんなところまで。
と思いつつドライブと思えば、
楽しく過ごせましたけど。


コンビナートに沈む夕日、その隣に富士山。
何かなければ、
みんなで外に出ることもないから、
楽しいイベントでした。
でも強行軍です。
疲れました。

母の祖父母は、ここの出身。
明治屋という言う屋号で、
しょうゆなどをあつかっていたらしい。
幼児期、一度、行った事があるけれど、
海がもっと近かったし、畑も多かった。
側でザリガニを取って、
晩の食卓に、
ゆでて、剥いたのが、
ドンブリいっぱい載っていました。
40年以上の前の話し。


五井から、八幡宿あたりらしいけど、
観音町なんて、地名、まだあるかな。
母のいとこは、健在のようだけど。





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2008-01-25
着膨れ


21日の写真の苗は、ポピーでした。
今日の写真のこの苗は何でしょうか?
答えはまた後日

片づけが急ピッチで行われています。
こんなにのこしたままでどおすんの?
と思っていた方のラストスパートといった
感じでしょうか。

フリース3枚に、マフラーに帽子をかぶると、
温かいのですが、自分のファッションが
はたからみたら、どうなっているのか、
分からなくなります。


家に帰ったら、娘がいて、
その格好で絶対外にでないでよね。
といわれてしまいました。


もう散々外にでてしまいましたけど。

店に出す野菜は、
水道水で洗っているのですが、
農場の水は、井戸水です。
あーったかいこと、あったかいこと。
ほーっとします。

たくさん葱を収穫しました。
本当に水道水はつめたい。
しかも手袋穴が開いていました。
週末たくさん売れるかな?





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2007-01-25


橙。だいだいと読みます。
かんきつ類です。
オレンジではなく、ダイダイです。


厨房の方から、ダイダイは作らないの?と聞かれました。
とてもおいしいポン酢が出来るのだそうです。


体験農園の周りには、
たくさんの種類のかんきつがありますが、
ダイダイはありません。


昔のお正月飾りには、ついていましたけど、
近頃のは、プラスチックのばかりで、
ダイダイが飾られることも、
もしかしたら、知らないのではないでしょうか。


お供え餅の上のも同じで、
あれはみかんでは意味がないのですよ。
ほんとうは。


ダイダイの代わりなんですよ。
というのを、うちの子供たちにも
伝えていないかもしれません。


ダイダイには、代々伝わるという意味があるにもかかわらずです。


そんな橙ですが、私も食べたことがありません。
皮も香りが良いので、マーマレードにも、いいそうです。


今回厨房の方に、聞かれて、
おいしいポン酢だそうで、食べてみたくなりました。


なぜ、ダイダイがダイダイというかというと、
代々という意味ですが、
木につけたままにしておくと、
オレンジ色が、退色して、
また緑になり、そしてまたオレンジ色になり・・・と、
ひきつがれていくようすを、
代々にかけたのだそうです。
実際、かんきつ類には、色が変わる物を見たことがあります。


子供のころの、クレヨンには、オレンジ色ではなく
だいだいいろと書かれていました。
敵性語の名残?
今の子に、通じるかしら?


ぐんじょういろ、おうどいろというクレヨンも、
意味がわかったのは、だいぶ後のことです。
茶色が、何で、お茶の色をしていないのかも、
ウーロン茶が登場して、初めてわかりました。


子供のころは何でもいいから、
覚えておくといいんですね。
意味は後からついてくる。
教育は、教えなくちゃ。
ゆとりって、やっぱり変。


でも、すっかり文部省の言うままに、
ゆとって育ってしまった子が、
何とかたくましく育っていることに、
ホッとしていますけど。


というわけで、ダイダイから、教育改革にまで、
飛んでいってしまいました。

今日の言葉
ため息ひとつ、幸せひとつ飛んでいく。

[コメントを書く]
# 47 ハヤシ
『最近、何度探しても兼業農民晴耕雨読で見つからなかったので、
止められたのかな、残念!と思っていましたが、
本日見つかりあった!と喜んでいます。
高浜さんが“土”を生活の基盤とされ豊かにいきておられるのに感心しています。
とても楽しく読ませていただいています。
                #47 林 淑江』


# takahama
『お久しぶりです。
見ていてくださったこともですが、
見つけてくださりとてもうれしいです。
なにか簡単なキーワードを探しておきます。』


10 2007/01/27 23:07
タメ息一つシワ五本というのを
聞いたことがあります。
どちらもイヤですねえ




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2006-01-25
ハーブ教室1


ハーブ教室をやり始めたのは15年くらい前のことです。
一生子育てしているような気持ちの焦りと、
農業をやりたかった気持ちとは裏腹に、団地の生活。
それでも比較的緑に恵まれた環境の中で、
園芸の面白さをどういう風に伝えたらよいか考えていたものが、
やりながら形になっていくというもので、
まだ園芸ブームでもなく、
構想を夫に話したときには、
そういうことは私が考えているほど
求めている人はいないかもしれないし、
そもそも、園芸を、教えるのは詐欺じゃないかとまでいわれ、
なるほどと思ったものの、こんなに楽しいのになー。
やり方があるはず。と、夫に相談しながら、
お金儲けはしないこと。ということで、はじめました。


夫も園芸が好きな人で、
沢山協力してもらいました。

野菜や花作りを教えたかったのですが、
簡単なところから、栽培の基礎を教えられるように、
ハーブを選びました。


ハーブのブームもまだだったので、
オリジナルで、カリキュラムを組むのは大変でした。
材料費込みで300円という教室は
オレンジページという雑誌にも取り上げられ、
値上げがしにくくなったけれど、
その分研修期間と思い、
皆さんから気軽に意見を言ってもらい、
良い物なら、材料費がかかってもいいという言葉をいただき、
素性のわかる良い物を作っていくことが出来ました。

スパイスは学生のときに
卒業のレポートを出していたのですが
ハーブはまだ手に入れるのも難しく、
そもそも栽培を教えたかったので、
華やいだ雰囲気の無い教室でした。

地方の方から、
大豆、ルバーブ
みかんなどを送っていただき、
農村と団地の人との
掛け橋になるような役目も
もてたのではないかと思います。

8年くらいやっていたときでしょうか
(300円では無くなっていましたが)
ハーブのブームが来て、
ガーデニングという言葉が出てくると、
もっと勉強しないといけないし、
だんだんマンネリしていることにも気づいていたときに、
体験農園で、準備段階の農園で働く募集がありました。
そのまま農場でお世話になっている次第です。